目指すは究極のお母さん

私が理想とする女性像
ー目指すは究極のお母さんー

私には高校生の息子がいます。

彼は表立った反抗はしません。余計なことは言わない、静かな性格です。しかし最近、自分の世界を確立し始め、古巣から飛び立とうとしています。その内なる気持ちを感じ、姿を見てとった時、私は自分が通訳ガイドを目指した本当の理由を思い出しました。

私は40歳を迎えた時に、通訳ガイドを目指し始めました。

『高校生の頃からの夢だった』と以前のブログで書いたように記憶しています。が、実はそれ以上に切実な気持ちと、周到な計画の上に成り立った行動でした。

その気持ちと計画の根本は、亡き母親との複雑な関係性にあります。

私は長女でした。母親とはべったりとした関係でした。お互いに、もたれかかっているようでした。いいえ。そういう行動を取るように要求されていました。

『あなたは私がいないと何にもできない』

よく母はそう言って子供時代の話をしました。

どんなに自分が可愛がって育てたか。

当時高校生の私にはそれが重くて重くて仕方がありませんでした。

ーー産んでやったんだから感謝しろ。こんなに可愛がってやったんだから感謝しろーー

そんな風に聞こえました。

感謝はしていました。

しかし、どこまで感謝すれば良いのでしょう?

子供時代の話を聞かされる度に、私は重い足かせをはめられているような気分になりました。

どうしてお母さんは、私が掛けてほしい言葉と反対のことをいつも言うのだろう?

どうして、

『あなたならもう大丈夫。なんでも自分で出来るよ。』

と言えないのだろう?

失敗すると

『ほら見たことか。私の言う通りにしないから』

と言うのだろう?

ーー私は、母みたいな母親にはならない‼️ーー

ーー決してならない‼️ーー

その時、心に誓いました。

高校2年性の時です。

では、母は何故そうなってしまったのか?

高校生の私は母を観察していました。

母は独身時代は銀行員でした。

銀行員だったことに誇りを持っていました。

非常に頭の良い女性だったので、仕事もよく出来たと思われます。優しくて面倒見も良かったので年上からも年下からも好かれたのでしょう。知り合いからよく電話がかかってきたり、手紙のやり取りがあったり、交友関係は結婚後も続いていて、新旧幅広いものでした。

いつだったか、そんな母がポツリとつぶやきました。

『自分が男だったら、どこまで出来ただろうかと思うことがある』

母は結婚後、私を含めて3人の子供を持ち、パートで家計を支えていました。

パートの仕事はとてもつらそうでした。長続きせず、いつも求人広告を眺めていました。

ー私の力は、本当はこんなもんじゃない!ー

母からはそんな心の声が聞こえてきました。

不満と不安を打ち消すように、母は『良き母になろう』と必死になっていたようです。

『自分の能力を自覚していて、それを活かせないでいると、こういう状態になってしまうのだ。』

高校生の私はそう結論づけました。

『本当に良い母親になるためには、まずは自立しなければならない。子供より先に、まずは自分が…』

そうすれば、子供に頼り切らずに済む。

わたしは必ず実行しよう。

同じ思いを子供にさせてはいけない。

自分自身のためにも。

子供が手から離れる時、

手のひらを開いて、

ただじっと見守って、

つまづいても倒れても、

じっと見守って

そしてその後ろ姿を見つめて

『大丈夫。私が育てたんだから』

と自分の心の中でつぶやくんだ。

あと数年で、息子が旅立つ日が現実のものとなります。

彼が自信を持って、自分の翼を広げられるように!自分の力で新しい世界を開いていけるよう

私の母親としての真価が問われるのはまさにこれからです

真に翔け‼️

 

 

2018年03月05日